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恩納村山田温泉ホテルでのロック
コンサート、手作り感が懐かしい




上のALTECホーンはツィーター帯域に使用

紫の本土デビューで沖縄のロックが脚光を浴びてくるようになりました。
沖縄の人も刺激され米兵相手だったライブハウスに地元の人が来るようになります。ミュージシャンにはVOCALアンプの時代ではないという意識が出始めました。


オリジナルコンソールの活躍、
18インで済んだ時代
楽器をミキサーに入れてバランスをとろう、結果チャンネルが多くなるとミキサーマンも必要になってくるのは当然の成り行きでした。

県内でPAが職業として歩み始めたようにかんじました。本土では既に数社が立ち上がっていたと思います。YAMAHA のPM-1000が主流のこの頃、これを超える筒井製作所製造のオリジナルコンソールを導入しました。

TUTUI 18CH CONSOLE
18MICIN、4G+1STOUT
6AUX OUT

 

4グループのコンソールでした。2AUXのみのYAMAHAに比べれば格段の進歩です。納品時はみんなで凄いと感動しました。この卓はコザのライブハウス紫で毎晩活躍していました。しかし、これも困ったことの一つになるとはだれも想像できませんでした。
時効なので言います。良く出来たプランの卓ですがモジュールの設計が甘くオペアンプは良く飛ぶし、バスインピーダンスの問題でレベルの取りにくい卓だったのです。手の掛かるやつでしたが思い入れの多い卓です。先に言いましたが一線で活躍したことも事実です。


1980年コンサートと言えばロックそんな時代

国産PA機材は殆どYAMAHAでした、
ピアノは重かったCP-80

仕事が増えて行くに連れ機材の増強に追われる日々が続きました。このため資金繰りは自転車操業だったようです。これを打破するために事業拡大を模索し始め、制作部が出来てコンサート主催もやるようになりました。

SOUNDCLAFT S800 32IN/8G/2ST

このコンソールにも泣かされました。初めて那覇市民会館(ふきのとうコンサート)に持っていった時です。パワーサプライの電流制限回路が働き-15Vが切断されてしまい、全てのLEDが美しく点灯するのです。ところが倉庫に持ち帰ってチェックすると問題無く立ち上がります。
原因は一次側の電圧が105V以上になると過電流が流れ切断されることがわかりました。電源を安定させてから接続すれば問題ないことがわかりリレーで時間差をつけて対応しました。サンクラにはいろんなハプニングがありますがキリがないので止めます。たくさんのオペレーターの方々に迷惑をかけてすみませんでした。
フォローですが、今までのトランス内蔵のミキサーから音の抜けが良くなったと感じたサンクラでした。
機材のトラブル対策に追われていた現場班ですが、経営側ではYM氏が抜けることになります。その後YM氏はアウトプットという音響会社を立ち上げました。

MARTIN
ALTEC 817
MANTALAY HORN
MIDAS24/8G/ST/4AUX
 
という、イギリス生まれのアメリカ育ちロックシステムを導入していました。
MIDASは重量もあり軽量の卓とは違う骨太サウンドを出していたように感じました。新しい機材を羨ましく思ったものです。
アウトプットはその後、別名の会社に変わっています。
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